1949-09-13 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第36号
○鍛冶委員長 いずれにいたしましても、福島縣並びに廣島等を調べてみますと、非常に地方人心に不安を與えたことはいなむことができないと思いますので、われわれとしてはこの不安を一掃するよう警察の強化をこいねがつておるのでありますが、その点は十分國民に安心の行くような対策は立つておりますでしようか。
○鍛冶委員長 いずれにいたしましても、福島縣並びに廣島等を調べてみますと、非常に地方人心に不安を與えたことはいなむことができないと思いますので、われわれとしてはこの不安を一掃するよう警察の強化をこいねがつておるのでありますが、その点は十分國民に安心の行くような対策は立つておりますでしようか。
だからこの費用は調整委員の生活保障ということを、十分國費をもつてめんどう見てもらいたい。それがなければいくら選挙権、被選挙権を名目上與えられてみましても、朝から晩まで沖に出なければ飯が食えないという人たちは出ることができないのです。この点についてこれは要望になるかもしれませんが、調整委員の生活保障ということを明瞭に規定していただきたい。その点についての当局のお考え一をお聞きしたいと思います。
すでに御承知の通り國鉄労働組合においてもこのことが世論を刺戟したということを承知いたしまして、この決議の妥当、妥当でないという論議が盛んに行われておりまして、國鉄労働組合自体においてこの決議の問題を解決する気構えが見えておるということは皆さん御承知の通りでございますので、國鉄労働組合の自主性にまかせていただいても、私は十分國鉄労働組合自体がこの問題を解決し得ると考えておる者でございます。
從つて私どもといたしましては、國鉄の全組織と全從事員をあげて、國民のためにこの鉄道の守護に当ろうということを示達いたしまして、ただいま國鉄從事員はその氣持になつて、良心の命ずるところに從つて誠実に勤務をいたしておる次第でございますので、そういう事態につきましても、十分國鉄を守り得るということを申し上げておく次第であります。
ここで労働者に対して今までよりもさらに過重な労働が強いられるといつたところに大きな問題がひそんでいるのでありまして、私どもはこの施設の回復を一日もすみやかにするよう当局に要請し、そのような予算が十分國会の審議によつて通過されて、復興が地につくようにお願いを申しあげておるわけであります。
それでその場合には十分國民の納得の行くような方法でやらなければならぬ、こういうつもりで注釈は入れております。おそらくこのあときまつたのも、そういうようなことをも含んでおられるのだつたら私の考へと違う。まあ團体交渉が決裂したときというようなことがあつた点が……。
この法律ができましたので、今度はまつたく案内業というものは國家の認められましたりつぱな仕事であり、十分國家の監督をうけるということに相なつたわけであります。これはやはりその仕事をするためにには國家の試験を受けまして、そうして免許状をもらわなければならぬということになりましたことは、すでに御承知の通りであります。
ただ問題は、恐らく数人が競合いたしました場合に、申請者が多かつた場合に如何なる方法によつてこれが決められるかということだろうと思いますが、その点は運輸審議会におきまして十分その内容等も檢討され、主眼とするところのものは、この鉄道を拂下げた後に十分國民の交通需要を満し得るだけの才能のある会社であるかどうかということを判断すればよいのではないか、かように考えますので、只今御縣念のような点は必要がなくなるのではないか
從つて提案者はこういう官廳の資料をもつて援用する、こういうような無責任なことをなさらずに、提案者自身の責任において十分國民の納得が行くように、かつまたわれわれ委員が信用して審議できるような資料の提出が、当然これは義務であろうと存ずるのであります。
これは何もこの内閣だけがやつたわけでありませんで、今日までの歴代内閣、社会党内閣あたりにおいても、十分國会案として出されているわけでありますから、これはやはり國会案とした方がよかろうというようなことによつて、やつた次第であります。それでこれを出し直すという意思はただいまのところございません。
私は委員長の廳内進出は十分國会の権威を高める上において役立つていると思う。これを悪用さえしなかつたらいいと思う。すなわちこれを党利党略に用いることは、嚴として排撃しなければならない。
すなわち、重要法案にして十分國会において審議をなさなければならない法案は少くとも四月一ぱいに國会に提出してほしい、遅れても五月の初めには必ず提出するよう、これは各派全会一致の申合せ事項として強く要望したのであります。
私には十分國、家公務員法の内容を見ていない関係かおかりませんが、地方警察官はこの條項ではつきりしますが、國警関係の警察官はどうなるか。國家公務員法で、私の知つておる限りにおいては、組合を結成することは、公務員としても何らさしつかえないことになつております。
だからこういうものについては、國は積極的に、十分國会等が要求した公共事業費を計上されて、災害復旧を行う。災害復旧が行われておるにもかかわらずこれだけの水が不可抗力的に出たという場合においては、今の議論は成立つけれども、現在のような公共事業費、災害復旧費では、それがために起つた水害等の災害について、國民にその費用を負担せよというのはむりな話であります。
私たちは、この法案はしばしば繰返して申しますますり、正しい、眞に働く労働者の組織するところの、自由な、建設的な、民主的な組合の育成にあるのでありまするから、その点は間違いがないのでありまするから、この点を十分國会を通じてなり、あるいはすべての機会を通じてなり、あるいは成立後の運用を通じてなり、眞に正しい心ある労働者に理解していただくことができましたならば、必ず共感を呼び得るものと確信を持つているのであります
でありますから、それを実行するためには、やはりそういうふうな特殊な委員会なり、あるいは協議会をつくりまして、國鉄の当局並びに國鉄の労働組合、それに対外的にも労働組合なりその他の國民代表が参加されまして、そういうことに十分國民の納得の行く方法をもつてやられるということならば、そこに起つて來たところの人員の整理という問題は、やはり國民も納得の行く形のものが出て來る。
先般來わが運輸委員会は鉄道運賃の値上げを行おうとする本案に対しまして、連日にわたつて慎重なる審査をいたして参つたのでありますが、本日は参考人の方々においでを願つて、運賃値上げの問題に関しまして、各階層の人々の意見を聴取いたしまして、われわれの審査に十分國民の声を反映いたしたいと思うのであります。 この機会においでを願いました参考人の方々にごあいさつを申し上げます。
その最大の問題は、何といつても医療の社会的な使命、それを達成する見地から、十分國立病院の社会性を確保したいということで、國立病院にやつかいにならなければならないところの、ある意味における社会の敗残者に対する思いやりから出発しているものと、敬服しているのでありますが、直接的には苅田委員も指摘せられておつたように、この特別会計の設定を契機として、國立病院の從業員に対する行政整理の問題が、当然取上げられて
さらに返納金が十分國庫に入つて來たかという点を見てみますと、会計檢査院の指摘にもあります通り、復員局関係で元陸海軍省の支拂つた前拂い金が概算拂いになつておりまして、当然返納されねばならぬものが十四億三千五百万円もある。そうしてこれの徴収に不熱心の点がわかるのであります。商工省関係にいたしましても三億二千二百万円からある。
協議会につきましては、議会方面から國会議員の方もお入りいただき、また一般業界からも加わつていただいてやれば一番いいかと私どもも考えておりますが、その点は関係方面ともいろいろ折衝をいたしたのでありますが、ともかくも從來経済安定本部で資金計画を立てているので、ひとつ役所としてやれという話でございまして、さような結果になつたわけでございますが、しかし私どもは協議会をもつてこれを協議するときにおきましても、十分國会
お示しの点につきましては、すでに國家公務員法制定並びに改正の際に十分國会においても御論議になり、この人事院をお拵えになつたのでございまして、この人事院の持つておりまする独立性は、公正なる人事を行なつて参りまする上に最小限度の独立性であり、これによつて内閣を弱めるものというふうには考えておりません。
ただ、如何にも関係がありまするのでありますが、いろいろこれらの施設をやつて行きまするときには、登録にいたしましても現在の状況からいたしまして、或る程度の補助を必要とする、檢査にいたしましても十分國が費用を掛けまして檢査をするということが必要であろうと思うのでありますが、今日のような財政の状況になりますると、それらの点について十分のことができませんのが甚だ遺憾であります。
殊に刻下の事情から考えて見まして相当の税收を上げなければならんということは分るが、税收を期待することも多けれど多い程國民の負担が相当過重になつて來るわけでありまするから、こういう際においては殊に税務行政に当つておる末端の人々が十分國民に納得せしめるというだけの能力を持つて、そうして円滑にそれこそ喜んで國民が納税するというふうな仕組にやらんければならんと思うのでありますが、残念ながらいろいろ大藏当局においても
パリテイー計算によつてやることについては、種々の問題がありますが、その過程におきまして十分國会等の意思も反映することができる、かように考えておるわけであります。 超過供出の問題でありますが、今日の供出制度そのものが、われわれはほとんど完全でないということを申し上げておるのであります。